翠松堂製薬の歴史 suishodo history

「百毒下し」は伊勢の国、三重県にある翠松堂製薬のお薬です。
当社は室町時代の1570年から続く、現存する製薬会社では最も古い会社です。
伝統を今に活かし安全で有効な医薬品を追求しております。
翠松堂製薬の発祥から現在に至るまでをご紹介します。 ※出典: 薬事日報社「家庭薬ロングセラーの秘密」 編著:家庭薬研究会 協力:全国家庭薬協議会

当社の発祥について

翠松堂製薬の歴史は古く、足利将軍が世を治めていた室町時代中期(西暦1400年前後)に、伊勢の国赤堀の地(三重県四日市市)に城を築いた田原景信の典医(専属の医者)として仕えていた加藤家が当社の発祥です。加藤家は、織田信長によって田原家が滅ぼされた後、加藤延寿軒の名で製薬業を興し、それが元亀元年1570年創業の翠松堂製薬の起源となっています。1570年は姉川の戦いの年、即ち、織田信長がまさに活躍の時代に産声を上げた製薬会社で、現存する製薬企業の中では最も歴史の長い会社となっています。

百毒下し

伊勢の国赤堀で創業した後、江戸時代の文化年間(1804~18年)には、二条関白家より二条殿製薬所として認められ、宮中を始め全国に販路を広げ家伝薬を販売してきました。
明治20年(1887年)には、松の緑におおわれた庭園内に製薬所があったことから、業主と親交のあった貫名菘翁
(ぬきなすうおう)(江戸時代後期の三大書家の一人)の命名により、商号を加藤翠松堂と改めます。

父子相伝の加藤家の技術

加藤家に伝わる家伝薬は、家長である父から子のみに伝えられる秘方として伝えられ、使用人はもとより兄弟にさえ製法の肝心な部分は明らかにされなかったと言われており、そのため文書として記録が残っていないがために、その家伝薬の殆どは歴史の過程で消滅してしまっています。
しかしながらその歴史を経て今に残されたものが「百毒下し」です。

「百毒下し」の誕生

生薬の専門書

「百毒下し」は、第14代将軍徳川家茂の侍医を務め、その後新撰組隊士の治療をしたことや、初代陸軍軍医総監を務めたことで有名な松本良順が、明治25年(1892年)の頃に蘭方医として江戸と長崎の往来の際に弊社宗家である加藤家に投宿し、その返礼に加藤家に授けられた処方と伝えられています。効能書き(添付文書)に良順自らが「老若男女、瘡毒一切に効あり」の一文を残しており、これは「全ての毒を根絶する」ことを意味し、解毒や性病の治療などに使用されていました。

「百毒下し」の誕生

名医である良順による一文の宣伝効果は大きく、発売当初から製品は飛ぶように売れ、知名度は広まり、それ以来、全国から東海道・伊勢道を通って伊勢参りする人々の常備薬やお土産ものとして人気を集めたという記録が残されています。※ここで記述されている「百毒下し」は、現在当社が販売している「百毒下し」と処方及び効能効果は異なります。
現在販売している製品については製品紹介をご覧ください。

製品の品質管理について quality management

  • 高速液体クロマトグラフ(HPLC)による有効成分の定量試験
    高速液体クロマトグラフ(HPLC)による有効
    成分の定量試験
    錠剤に有効成分がしっかり含まれていることを確認する試験です。HPLCは非常に精密な機器であり、微量な成分でもしっかりと検出できます。上記試験により、製品の有効性を担保しています。
  • 原料試験
    原料試験
    納入した原料が厚生労働大臣が定める日本薬局方に適合していることを確認します。上記試験により、原料の有効性と安全性を担保しています。原料が日本薬局方に適合していることは、原料メーカーでも確認、更にダブルチェックしています。
  • 純度試験
    純度試験
    製品に不純物(砒素、鉛等)が入っていないことを確認します。上記試験により製品の安全性を担保しています。
  • 崩壊試験
    崩壊試験
    服用された錠剤について、成分が体内にしっかりと吸収されるために、服用後ちょうどよいタイミングで溶解することを確認します。